なぜ時間は巻き戻らない? エントロピーと「時間の矢」

コーヒーにミルクを入れると、白い筋がほどけて、だんだん全体が同じ色になります。では、そのまま待っていたら、ミルクだけが集まって元に戻るでしょうか。

動画なら逆再生できます。でも、目の前のカップには、そのボタンがありません。見慣れた現象なのに、考えてみると少し不思議です。

今回は「なぜ時間は巻き戻らないのか」を、エントロピーという考え方から眺めてみます。数式は使いません。最後は、少しだけSFの話へ。

コーヒーから見えてくる「時間の矢」

ミルクが混ざる映像を逆再生すると、混ざった液体から白い筋が現れ、ミルクが一か所に集まります。順再生と逆再生のどちらなのか、説明されなくても見分けられそうです。

このように、過去と未来を区別する時間の向きを「時間の矢」と呼びます。その中でも、混ざる、冷めるといった現象の向きに関わるのが、熱力学的な時間の矢です。物理学者ショーン・キャロルも、コーヒーとミルクを例に、エントロピーと時間の矢の関係を説明しています。キャロルによる解説(Caltech・英語PDF)

エントロピーは「散らかり具合」?

エントロピーは「乱雑さ」と説明されることがあります。ただ、見た目がきれいか、散らかっているかという好みの話ではありません。

統計的な見方では、外から同じ状態に見えるとき、その内側にはどれくらい多くの分子の配置や運動のあり方があるのか、と考えます。その可能なあり方の数と、エントロピーが結び付いています。OpenStaxの教科書解説(英語)

数の違いを感じるために、コイン6枚を並べる例で考えてみましょう。「6枚とも表」という並び方は1通り。「表3枚・裏3枚」なら、どこに表があるかによって20通りあります。

これは分子運動そのものの模型ではなく、まとめて一つの状態と呼んでも、その中に含まれる並び方の数は違う、というたとえです。分子が非常にたくさんある物質では、この「あり方の数」の差が大きくなります。

「混ざったまま」が圧倒的に起こりやすい

ミルクとコーヒーがきれいに分かれた状態を保つには、それぞれの分子がいる場所に強い制限があります。混ざった状態には、分子の並べ方がはるかにたくさんあります。

分子が動き、ぶつかり合ううちに、混ざった状態へ進む。そして、元の分かれた状態へひとりでに戻ることは、日常の大きさでは期待できないほど起こりにくい。これが、混ざる過程の不可逆性を理解する手がかりです。ファインマン物理学・不可逆性の説明(英語)

熱力学では、外と物質もエネルギーもやり取りしない「孤立系」のエントロピーは減少しない、と表します。これが熱力学第二法則です。ミクロな揺らぎをならして見る、巨視的な法則としての説明です。

ここで大切なのは、対象だけでなく周囲まで含めて考えること。冷凍庫で水を凍らせることはできますが、その間、冷凍庫は電力を使って外へ熱を出しています。水のエントロピーが下がることだけを見て、第二法則に反しているとは言えません。MITの熱力学教材・系と周囲のエントロピー(英語)、冷凍機の仕組み(OpenStax・英語)

逆向きの運動と、過去へ行くことは同じ?

それなら、分子の動きを全部逆にすればよいのでしょうか。実際、位置だけで決まる力を扱うニュートン力学では、すべての粒子の速度を反転させると、元の経路を逆にたどる運動を数式の上で考えられます。

ただし、これはあらゆる物理現象が簡単に逆転するという意味でも、人間が過去へ旅行できるという意味でもありません。一つ一つの運動に逆向きの解があることと、カップ全体が自然に混ざる前へ戻ることには隔たりがあります。ファインマン物理学・力学の可逆性(英語)

水をもう一度凍らせても、昨日の同じ瞬間に戻ったことにはならない。状態を似せて作り直すことと、時間を巻き戻すことは、分けて考える必要があります。

まだ残る、宇宙の始まりの問い

ここまでで、時間の謎がすべて解けたわけではありません。時間の矢を考えるときには、過去が低いエントロピーの状態だった、という出発点も重要になります。

では、なぜ宇宙はそのような特別な状態から始まったのでしょうか。これは宇宙論につながる問いで、エントロピーが増えるという説明だけでは答えきれません。キャロルも、この問題と、その説明に合意がないことを論じています。キャロル自身による問題の説明(2004年・英語)

SFなら、どこに「もしも」を置くか

ここからは、科学の解説を離れて、架空の思考実験です。

もし、一つの部屋だけを10分前の状態に戻す装置があったら。部屋の空気も、机の上のコーヒーも、そこにいた人の身体も戻るとします。

その人の記憶まで戻るなら、装置を使ったことを本人はどうやって知るのでしょう。逆に、記憶だけ残すなら、装置は何を戻し、何を残しているのでしょうか。

これは実現可能な装置の説明ではありません。「時間を戻す」と一言で済ませていたところに条件を足すと、登場人物が困る理由や、選択する理由が生まれる。科学について調べる面白さは、こうして物語の問いが増えていくところにもあります。

あなたなら、何を残して、何を戻したいでしょうか。

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