情報を知ると仕事ができる? マクスウェルの悪魔と、忘れるコスト
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粒子がどう動いているかを知るだけで、熱から役に立つ仕事を取り出せるでしょうか。よく見て、小さな扉をちょうどよい瞬間に開く。それで装置が動くなら、ずいぶんお得な話です。
この問いを投げかけるのが、マクスウェルの悪魔。「悪魔」といっても、物理学の思考実験に登場する架空の門番です。面白いのは、門番が何を知っていて、その情報がどう扱われるか、というところにあります。
小さな扉と、選り好みする門番
気体の入った箱を、仕切りで二つに分けます。最初は両側とも同じ温度です。ただし、箱の中の分子は、それぞれ違う速さで動いています。
門番は、速い分子を一方へ、遅い分子を反対側へ通します。理想化した図では、片側が熱く、もう片側が冷たくなる。扉を開くタイミングを選ぶだけで、温度差ができたように見えます。この古典的な設定は、研究者によるレビューで解説されています(英語PDF)。

前回のエントロピーと時間の矢の記事では、混ざったものが普通は元に戻らない理由を考えました。今回は、もう少し具体的な問いです。制御装置が情報を使えば、ひとりでには起こりにくい変化を起こせるのでしょうか。
「知っている」が、次の動作を変える
もっと簡単な思考実験を考えます。周囲と熱をやり取りできる箱に、分子を一つだけ入れる。仕切りを入れ、その分子が左右どちら側にいるかを調べます。その答えがあれば、分子が膨張するときに可動式の仕切りを押し、小さなおもりを持ち上げるように配置できます。
これが、シラードのエンジンの基本的な考え方です。情報は、役に立つ動作を選ぶために使われます。膨張中のエネルギーは周囲から供給される熱に由来し、知識が無から燃料を生むわけではありません。Toyabeらの論文でも、情報と仕事の関係が説明されています(英語)。
記憶も、実験の中に入れて考える
調べた答えは、どこに保存するのでしょうか。物理的な記憶装置です。同じ有限の記憶を使って動作を繰り返すなら、保存した記録をどう扱うかまで考える必要があります。
ここでいう「消去」は、以前の内容に関係なく、記憶を一つの決まった状態に戻すことです。たとえば「左」も「右」も「準備完了」にする。そうすると、その記憶だけから元の答えを取り戻すことはできません。Bennettは、この論理的な不可逆性がなぜ重要なのかを説明しています(英語)。
最初に0と1が同じ確率で現れる古典的な1ビットを、温度Tを一定に保ってリセットする標準的なモデルでは、ランダウアーの限界により、平均して少なくともkBT ln 2の熱を放出します。記号はボルツマン定数と絶対温度を表します。大切なのは、記憶を空ける操作にも物理的なコストがある、という点です。
2012年、Bérutらは、捕捉した粒子で表した1ビットの記憶を使って実験しました。ゆっくり消去する過程では、放出する熱がこの限界へ近づきました。これは特定の物理的な記憶についての実験結果で、コンピュータのすべての操作が、必ず同じ量の熱を出すという意味ではありません。原論文の要旨はこちらです(英語)。
測定、制御、消去も分けて考える必要があります。「見ると必ず一定のエネルギーが必要」とするだけでは単純すぎます。コストは記憶の仕組みや手順にも依存し、一連の動作全体を数えなければなりません。SagawaとUedaは、この違いを理論的に扱っています(英語)。
架空の悪魔から、実験室のフィードバックへ
この考え方を実験した研究もあります。Toyabeらの2010年の実験は、ブラウン運動する粒子の位置を測定し、その情報で操作を変えるものでした。2018年に発表されたMasuyamaらの研究では、超伝導量子ビットの測定とフィードバックを使い、情報から仕事への変換を示しています。量子系の実験は、こちらの原論文で読めます(英語)。
いずれも、制御されたミクロな系の実験です。尽きることのない無料の電源が実現した、という話ではありません。情報とフィードバックの役割を、測れるものとして扱っているところが興味深いのです。
SFなら、どこに「もしも」を置くか
宇宙船の乗員が、小さなエンジンを「無料の電源」と呼んでいるとします。ところが技術者は、増え続ける測定記録の保管庫を指さす。装置はまだ、一連の動作をすべて終えていなかったのです。
これは宇宙船の設計案ではなく、物語の始まりです。奇跡に見えたものが、誰も数えていなかった資源に支えられていたら。最初に気付くのは誰でしょう。ついに帳尻を合わせるときが来たら、乗員はどうするでしょうか。
このテーマに興味のある方は、こちらの小説も読んでみてください。